朝日新聞モスクワ支局員関根和弘さん、チェルノブイリ一般ツアーを取材


最初に訪れたのは、昨年完成したばかりの記念公園。事故によって放棄された村の看板がずらっと立てられています。


次に訪れたのは、事故直後に発生した火災を食い止めるため、犠牲になった消防士らのメモリアル像です。


廃虚となった幼稚園です。


これも幼稚園です。入り口です。


幼稚園の玄関です。交通安全を教えるポスターでしょうか。


そして、一行は事故が起きた4号炉へと進みます。その道すがら見えたのが、建設が中止された5号炉です。建設用のクレーンなどが今でもそのままです。


遠くに4号炉が迫ってきました。一行はいったん下車し、写真撮影。再び車に乗り込み、4号路へと向かいます。


4号炉です。参加者はいずれも初めて居住禁止区域内に来たという人たち。4号炉ももちろん生で見るのは初めてとあって、じっと眺めたり、記念撮影したり、放射線量を測定したり。


ちなみにここの放射線量はいくらかというと、毎時3.14マイクロシーベルトでした。4号炉から約300メートルの地点です。


4号炉の見学の後は、全住民が避難した町「プリピャチ」に行きました。ここでは1時間半ほど、歩いて町の中をガイドに案内してもらいました。写真の左がガイドのミハイルさんです。ガイドは国営企業社員で、何カ国語かできます。


アパートより高く伸びた木もあります。


事故があったのは1986年。建物は老朽化し、崩れ落ちているところも。そのため、ウクライナ政府は、記念に残す特徴的な建物以外はすべて取り壊すことを検討しています。


ホテルです。


ガイドさん(左)が事故前の地図や写真と、今の現場を比較しながら説明してくれています。


プリピャチには遊園地もありました。しかし、この遊園地がオープンすることはありませんでした。オープン直前に事故が起きたからです。写真は観覧車です。


ゴーカートのような乗り物もありました。


プリピャチでは、ほかのいくつかのツアーグループを見かけました。多いときで1日約20組、約300人が訪れるとのことです。写真はマンホールのふたの放射線量を測る参加者です。


ここは警察署の敷地内。様々な乗り物が放置されていました。


トラックでしょうか。装甲車でしょうか。


居住禁止区域内には、あちこちにこうした放射能の濃度が高い場所を示す看板が立っています。


そして、ツアーの最後には食事です。


メニューはこんな感じです。


そして、ツアーは終了。居住禁止区域内から出るときは、放射能測定装置で測り、問題なければ区域から出られます。一行は再びキエフまで戻り、午後6時ごろ解散になりました。

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