日本には謝罪を受け入れる文化がないかも知れない
これはすばらしい明察、たいへんな慧眼だと感動しました。
タイトルは「謝罪を受け入れる文化がない」ですが、裏をかえして同時に「謝罪をする文化がない」と言いかえてもいいでしょう。
なるほど、指摘されてみれば、なぜ今まで気がつかなかったのだろうと思うほど、日本人にとってはまったく当たり前のことのようです。当たり前のように見すごされてきたので、それがおかしなことだと思わないのかもしれない。
たしかに「謝罪しろ!」という言い方(よく見かけますね?)には、発言者の激しい攻撃性を感じる一方、謝罪をしたなら赦されるという予感がまったくしない。日本に生まれ、日本に育って40年になりますが、和解の提案としての謝罪要求を、日本では見たことがありません。
■ 9月10日
■ 9月11日
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"土下座は日本では一般的に、最大級の謝罪表現だとされてますけど、それは根拠のない幻想です。実際には、多くの日本人は土下座に価値など認めてません。土下座をされて満足する人など、ほとんどいないのです。"